もし上杉謙信が49歳で死ななかったら?戦では織田に勝てても、天下は信長だった

1578年3月、越後の春日山城で、上杉謙信が突然倒れました。厠(トイレ)で倒れたと伝わり、そのまま意識が戻らずに亡くなります。49歳。前の年には加賀の手取川で織田軍を破り、まさにこれからという時でした。

では、もし謙信が49歳で死ななかったら? あと10年生きていたら、織田信長の天下統一はどうなっていたのでしょうか。

上杉謙信
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通説・史実:手取川の勝利の翌年に急死した謙信

年 出来事
1569年 宿敵だった北条氏と同盟を結ぶ(越相同盟)
1570年 北条氏康の子・三郎を養子に迎え、「景虎」の名を与える
1573年 武田信玄が病死する
1576年 石山本願寺と和睦し、信長と手を切る
1577年 能登の七尾城を落とし、加賀の手取川の戦いで柴田勝家らの織田軍を破る
1578年 春日山城で倒れ、49歳で亡くなる。跡継ぎを決めていなかったため、養子の景勝と景虎が争う「御館の乱」が起こる
1579年 景勝が勝ち、景虎は自害。上杉家は大きく力を落とす

謙信は戦の天才でしたが、長く国を空けられない事情を抱えていました。越中へ攻めこむたびに、背後で一向一揆が起きたり、関東の北条や甲斐の武田が動いたりして、そのつど越後へ引き返しています。とくに越中の一向一揆は、武田信玄が裏で手を結んで、謙信の足止めに使っていました。

織田信長
柴田勝家
上杉景勝

ですが、もし謙信が49歳で死ななかったら

もし謙信が倒れず、あと10年生きていたら。信玄はすでに亡くなり、北条からは養子の景虎を迎えています。本願寺とも手を結びました。背後の心配がいちばん少なくなったこのタイミングこそ、謙信が守りから攻めに転じる好機だったはずです。

こうなったかもしれない

もしも謙信が生きていたら 上杉の構想図

1. 遠交近攻で、信長包囲網をつくる

謙信は、遠くの勢力と結んで近くの敵を攻める「遠交近攻」の策をとります。西の毛利、四国の長宗我部、甲斐の武田勝頼、そして大坂の本願寺。この四つと手を結び、信長を四方から包囲します。信長が一つの方面に兵を集めれば、別の方面が手薄になる。そうやって織田の大軍を分散させるのです。

武田勝頼
北条氏政

2. 北条とは、上野を半分に分けて手を結ぶ

問題は関東の北条です。北条がいる限り、謙信はなかなか西に目を向けられません。景虎を養子に迎えていても、それだけで北条がおとなしくなるとは限りません。

上野を北(上杉方)と南(北条方)に分ける構想図
上野分割構想(イメージ図)

そこで、長年の争いのもとだった上野(群馬県)を、北と南で半分ずつに分けるという条件を出します。北半分は上杉、南半分は北条。景虎は北条氏政の弟ですから、この条件なら北条も受け入れやすいはずです。これで背後の関東を固めます。

3. 越中と能登を、織田に対する防衛線にする

手取川で勝ったあとも、謙信は越中・能登をしっかり固め、織田に対する防衛線とします。本願寺と結んだことで、越中の一向一揆はもう謙信の足を引っ張る敵ではありません。むしろ、織田に対する味方になります。

越中・能登を織田に対する防衛線とする構想図
越中・能登の防衛線(イメージ図)

4. 後ろの備えを万全にして、加賀まで攻め入る

関東と越中・能登の備えが整ったら、謙信は加賀まで攻め入ります。加賀は一向一揆の国で、織田と本願寺がぶつかり合っている最前線です。ここを上杉が押さえれば、越前の柴田勝家と真正面から向き合う形になります。

ただし、謙信が進めるのは加賀あたりまででしょう。越後から遠く離れれば離れるほど、国を空ける危うさが大きくなります。上洛まで一気に進むというのは難しかったと思います。

5. 戦では上杉、政略・外交では織田

局地戦、つまり戦場での戦いなら、織田軍は謙信に勝てないでしょう。手取川の戦いがそれを示しています。

でも、全体の政略、謀略、外交となると話は別です。信長は、包囲網の一角を切り崩すのが得意でした。武田を攻め、本願寺に和睦をせまり、毛利とは羽柴秀吉に戦わせる。上杉と直接ぶつからなくても、まわりの同盟相手を一つずつはがしていけば、謙信は孤立していきます。戦の強さでは上杉、天下を取る力では織田。最後に勝つのは、やはり織田だったと思います。

6. 謙信の死後の構想:加賀は景勝、春日山は景虎

謙信が長く生きていれば、跡継ぎ問題にも手を打てたはずです。加賀を落としたら加賀には景勝を置き、本国の越後と春日山城は景虎に任せる。二人の養子にそれぞれ国を分けておけば、史実の御館の乱のような家を割る争いは起きません。景虎の実家の北条とのつながりも、そのまま保てます。

筆者の感想

春日山城跡(筆者撮影/日本の歴史旅ガイドより)

謙信は、国を長く空けられない事情をずっと抱えていました。だからこそ、信玄が亡くなり、北条から養子を迎え、本願寺とも結んだあのタイミングで、攻めに転じてもよかった気がします。

春日山城跡に立つと、曲輪がいくつも重なった山全体が城になっていて、謙信がここから越後と北陸をにらんでいたことがよくわかります。もし謙信があと10年生きていたら、戦場では織田を何度も破ったでしょう。それでも、最後に天下を取るのは政略と外交にたけた信長だった。そう考えると、謙信の本当の不運は49歳での死そのものより、跡継ぎを決めないまま倒れてしまったことにあったのだと思います。

あなたは、謙信があと10年生きていたら、織田の天下統一はどうなったと思いますか?

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