もし小栗忠順が箱館に渡っていたら?副総裁として甲鉄を渡さず、蝦夷地を「戦える国」に変える

小栗、箱館に立つ

飯能で弾がつき、越後へ退いた小栗忠順(小栗上野介)。前回の記事では、小栗が新潟港を守りぬき、河井継之助とともに長岡で新政府軍を防ぎきる、と予想しました。

今回は、その続きです。もし小栗が、榎本武揚たちの待つ箱館へ渡っていたら、どうなっていたでしょうか。

目次

先に結論:小栗は副総裁となり、蝦夷地を「戦える国」に変える

先に私の答えを書いておきます。箱館に渡った小栗は、入札(選挙)で副総裁にえらばれます。そして、軍艦「甲鉄」を新政府に渡さず、海を旧幕府方がおさえたままにする。1869年の春、新政府軍は津軽海峡を渡ることさえできなかったのではないでしょうか。

戦いのあいだにも、小栗は箱館の財政を立て直し、銀行や会社をつくり、鉱山や農地を開き、軍艦を直すドックまで建てていきます。そして最後は、新政府と和議を結び、蝦夷地は旧幕臣が開く土地として残る。今回は、そんな流れを予想してみます。

前提:史実の箱館戦争

まず、史実の箱館戦争の流れを見ておきます。

年月日 できごと
1868年8月19日 榎本武揚が、開陽丸など旧幕府艦隊をひきいて品川を出る
9月22日 会津藩が降伏する。このあと庄内藩も降伏し、奥羽越列藩同盟はくずれる
10月20日 榎本たちが蝦夷地の鷲ノ木に上陸する
10月26日 五稜郭に入る
11月15日 旗艦の開陽丸が、江差の沖で嵐にあって座礁し、沈む
12月15日 入札(選挙)で、総裁に榎本武揚、副総裁に松平太郎がえらばれる
1869年はじめ 各国が局外中立をとき、アメリカが軍艦「甲鉄」を新政府に引きわたす
3月25日 宮古湾海戦。回天が甲鉄をうばおうと斬りこむが、失敗する
4月9日 新政府軍が乙部に上陸する
5月18日 五稜郭を開城し、榎本たちが降伏する

この流れで大事なのは、二つの軍艦です。旗艦の開陽丸を失い、最新の甲鉄が新政府にわたったことで、旧幕府方は海の強みをなくしました。海をおさえられた箱館は、新政府軍の上陸をふせげなかったのです。

第1段階:長岡から箱館へ(1868年秋)

前回の予想では、小栗は朝日山で山県有朋の軍を防ぎ、長岡は雪が降るまで持ちこたえました。けれど、そのあいだに会津藩と庄内藩が降伏してしまえば、越後の同盟方は孤立します。雪どけを待って新政府の大軍が来れば、長岡だけでは守りきれません。

そこで小栗は、まだ冬の海が荒れる前に、新潟港から千代田形と長崎丸に乗りこみ、箱館の榎本たちのもとへ向かいます。一緒に行くのは、桑名藩主の松平定敬と、立見鑑三郎ひきいる雷神隊です。史実でも定敬は、会津から庄内をへて箱館へ渡り、榎本たちとともに戦っています。北越で小栗と手を組んだ雷神隊が、そのまま箱館へついていくのは自然な流れではないでしょうか。

開陽丸を江差へ出さない

小栗が箱館に着いたとき、最初に止めたいのが、開陽丸の江差出撃です。開陽丸は、幕府がオランダで造らせた、旧幕府方でいちばん強い軍艦でした。史実では、江差を攻める陸軍を助けるため、冬の荒れた日本海へ出て、嵐で座礁してしまいます。

開陽丸に大金をつけてきた小栗は、この船一隻の値打ちを、だれよりもよく知っています。「江差は陸から攻めればよい。開陽丸は箱館の湾で守りに使え」。小栗がそう言えば、榎本も耳をかたむけたのではないでしょうか。こうして開陽丸は、沈まずに残ります。

開陽丸(1866年、オランダ・ドルトレヒト)
完成したばかりの開陽丸。1866年8月、オランダのドルトレヒトで撮影(出典:Wikimedia Commons、パブリックドメイン)

第2段階:入札で副総裁にえらばれる(1868年12月)

12月15日、箱館では、士官たちの入札(選挙)で、政権のかしらをえらびます。史実では、総裁に榎本武揚が156票、副総裁に松平太郎が120票でえらばれました。

もし小栗がいたら、どうでしょうか。小栗は、幕府の勘定奉行や陸軍奉行、海軍奉行をつとめた大物です。そのうえ、飯能では新政府軍に勝ち、長岡では新潟港を守りぬいた将でもあります。総裁は艦隊をひきいてきた榎本にゆずるとしても、副総裁には小栗がえらばれたのではないでしょうか。松平太郎は小栗の下について、財政を支える役に回ります。

役目 史実 小栗がいたら(予想)
総裁 榎本武揚 榎本武揚
副総裁 松平太郎 小栗忠順
海軍奉行 荒井郁之助 荒井郁之助(開陽丸が残る)
陸軍奉行 大鳥圭介 大鳥圭介
陸軍奉行並 土方歳三 土方歳三
箱館奉行 永井尚志 永井尚志
箱館奉行並 中島三郎助 中島三郎助
松前奉行 人見勝太郎 人見勝太郎
江差奉行 松岡四郎次郎 松岡四郎次郎
陸海裁判官 竹中重固 竹中重固
会計奉行 榎本道章、川村録四郎 小栗忠順が全体を見る。松平太郎が補佐し、榎本道章・川村録四郎が実務
開拓奉行 澤太郎左衛門 澤太郎左衛門(室蘭)
桑名藩 松平定敬 松平定敬、立見鑑三郎(雷神隊)

史実の箱館政権では、入札の結果をもとに、このように役目が決められました。小栗が加わっても、陸軍・海軍や各地の奉行は、史実どおりの顔ぶれがそのまま力を発揮したはずです。変わるのは、副総裁と財政の要に小栗が座ることでした。

軍全体の士気をまとめる

箱館に集まった旧幕府方は、幕府の歩兵、新選組、各藩の脱藩兵、フランスの軍事顧問ブリュネたちと、生まれも考え方もばらばらでした。負け続けてここまで来た兵も多く、士気を保つのは簡単ではありません。

そこへ、関東と越後で勝ってきた小栗が副総裁として立ちます。「補給さえあれば、われらは負けない」。飯能と長岡で、それを自分の目で見てきた小栗のことばには、重みがあったはずです。フランス式の陸軍を育てた小栗なら、ブリュネたちとも話が通じます。小栗は、ばらばらの軍を一つにまとめる役目をはたしたのではないでしょうか。

兵を募り、フランス式で鍛える

兵の数も足りません。そこで小栗は、兵を広く募る応募の制度をつくります。身分を問わず、志願した者を兵としてやとい、決まった給金を払う。上州の権田村で農民を鉄砲の兵に育てた小栗にとって、身分にこだわらずに兵を集めるのは、ごく当たり前のやり方でした。箱館の町人や、蝦夷地へ流れてきた旧幕臣の家来たちも、給金と食べ物が保証されれば、兵に加わったはずです。

集めた兵は、ブリュネたちフランスの軍事顧問のもとで、フランス式の演習で鍛えます。小栗は幕府にいたころ、フランスから軍事顧問団をまねいて、幕府の陸軍をフランス式に育てた張本人です。ブリュネは、その顧問団の一人でした。五稜郭のまわりで、隊列の組み方や射撃、大砲の撃ち方をくり返し訓練し、冬のあいだに、新しい兵を一人前の兵に育てていったのではないでしょうか。

五稜郭のフランス式調練
雪の五稜郭で、ブリュネの号令のもと新兵が一斉射撃の調練。小栗が見守る(イメージ)

第3段階:甲鉄は、新政府に渡さない

次の勝負は、軍艦「甲鉄」です。甲鉄は、船体を鉄の板でおおった、当時の日本でいちばん強い軍艦でした。もともとは、幕府がアメリカから40万ドルで買う約束をした船です。ところが、横浜に着いたときには戊辰戦争が始まっていて、アメリカは「戦が終わるまでは、どちらにも渡さない」という局外中立をとりました。

史実では、奥羽越列藩同盟がくずれたあと、各国は局外中立をとき、甲鉄は新政府に引きわたされました。この甲鉄がいたからこそ、新政府は箱館の海をおさえることができたのです。

けれど、小栗がいたら話はちがいます。小栗は、幕府の財布をあずかり、甲鉄のような軍艦の買い付けにお金をつけてきた人です。アメリカの公使に、こう申し入れたのではないでしょうか。

「甲鉄の代金を約束したのは幕府である。そして長岡も箱館も、まだ戦っている。戦は終わっていない」

長岡が持ちこたえ、箱館の政権も健在なら、「戦が終わった」とは言いきれません。アメリカは局外中立をとく理由を失い、甲鉄は横浜にとどまったまま、新政府には渡らなかったと予想します。開陽丸が残り、甲鉄が新政府に渡らない。これで、箱館の海は旧幕府方がおさえたままになります。

甲鉄をめぐる小栗とアメリカ公使の会談
横浜のアメリカ公使館で、小栗が約定書を示して「甲鉄は渡さぬ」と迫る。窓の外には甲鉄(イメージ)

第4段階:武器と弾薬の補給を切らさない

飯能で弾がつきて負けた小栗にとって、いちばん大事なのは補給です。箱館は、1859年に開かれた外国との貿易港で、外国船が出入りしていました。小栗は、新潟でつながりのあったスネル兄弟や、箱館にいたプロイセンの商人ガルトネル兄弟などを通じて、元込め銃や弾薬を買い入れます。

海をおさえていれば、外国船は安心して箱館に入ってこられます。弾薬庫はいつもいっぱい。前回の長岡と同じく、「弾がつきる」心配のない戦いができるのです。

箱館港での武器弾薬の陸揚げ
外国船から元込め銃や弾薬、大砲が次々に陸揚げされる箱館港。小栗が外国商人と帳面を確かめる(イメージ)

第5段階:箱館の財政を立て直す

武器を買うにも、兵に給金を払うにも、お金がいります。史実の箱館政権は、お金に困っていました。新しい貨幣を造ったり、通行人から通行税を取ったりしたため、町の人びとの評判を落としています。

勘定奉行だった小栗なら、もっと筋の通ったやり方で税を集めたはずです。

税の種類 小栗のやり方(予想)
港の関税 外国船の荷に税をかける。いちばん大きな収入
商いの税 箱館の問屋や商人から、店の大きさに応じて集める
遊郭の税 遊郭を免許制にし、免許の代金と毎年の税を取る

遊郭については、史実の箱館政権も遊女から税を取っていました。けれど、取り方がばらばらで、評判はよくありませんでした。小栗なら、店ごとに免許を出して、決まった税を納めさせる形にしたのではないでしょうか。勝手な取り立てがなくなれば、税を払う側も納得しやすく、政権のほうも毎年決まった収入が見こめます。

第6段階:銀行をつくり、会社をつくる

小栗は、お金の流れをつくることにも長けた人でした。史実でも小栗は、1867年に「兵庫商社」をつくっています。商人たちからお金を集めて大きな商いをする、日本で初めての株式会社とも言われる仕組みです。

箱館でも、小栗は同じことを考えたはずです。まず、箱館に銀行をつくります。税や貿易で集まったお金をあずかり、商人や開拓に乗り出す人びとに貸し付けるのです。手持ちのお金が少ない人でも、銀行から借りれば、店を開いたり、土地を開いたりできます。

さらに小栗は、株式会社をつくることを後押しします。一人では出せない大きなお金も、大勢で少しずつ出しあえば集められます。鉱山を掘る会社、船で荷を運ぶ会社、魚や昆布を売る会社。箱館の商人たちが会社をつくり、銀行がお金を貸す。そんなお金の流れが、蝦夷地に生まれたのではないでしょうか。

箱館の銀行と株式会社
箱館の町に銀行が開き、株式会社ののれんが並ぶ。小栗が商人たちに貸し付けの仕組みを説く(イメージ)

第7段階:蝦夷地の奥を開く

お金の流れができたら、次は土地を開きます。小栗が目をつけるのは、箱館の奥に広がる蝦夷地の大地です。

分野 小栗の開拓(予想)
鉱山 石炭や鉄、銅を掘る。史実でも幕府は、岩内の茅沼で石炭を掘りはじめていた
農業 七重村(いまの七飯町)などで、西洋の作物や農具をためす
工業 掘った石炭と鉄で、鍛冶場や工場を動かす
室蘭 澤太郎左衛門たちが入り、港と町を開く

室蘭で、澤太郎左衛門と開拓

開拓の大事な拠点になるのが、室蘭です。室蘭は、山にかこまれた深い湾をもつ、天然の良港でした。史実でも、開陽丸の艦長をつとめた澤太郎左衛門たちが室蘭に入り、開拓にあたっています。

澤は、幕府の留学生としてオランダで開陽丸の建造に立ち会い、火薬や大砲の造り方も学んだ人物です。小栗は、この澤とともに、室蘭の港を整え、まわりの土地を開いていきます。のちの時代に室蘭が鉄の町として栄えたことを考えると、小栗と澤の目のつけどころは、まちがっていなかったのではないでしょうか。

室蘭の開拓
室蘭の入り江を見下ろし、澤太郎左衛門と小栗が港と町の図面を広げる。原野を切り開く人びと(イメージ)

第8段階:ドック、反射炉、造船所をつくる

小栗といえば、横須賀製鉄所です。幕府のお金がとぼしいなかで、フランスの力を借りて、軍艦を造ったり直したりできる大きな工場を横須賀につくりました。小栗は「たとえ幕府がほろびても、土蔵つきの家を残すことになる」と語ったとも伝えられています。

箱館でも、小栗は同じことを考えます。開陽丸や回天、千代田形は、戦い続ければかならず傷みます。けれど、それを直す場所が蝦夷地にはありません。そこで小栗は、箱館の港に、軍艦を直すためのドックをつくらせます。ブリュネらフランス人の知恵も借りれば、小さなものなら造ることができたはずです。軍艦を直しながら戦い続けられることも、海をおさえ続ける力になったのではないでしょうか。

反射炉と造船所もつくる

小栗のねらいは、船を直すだけではありません。鉄をとかして大砲を造る反射炉と、新しい船を造る造船所も、箱館に建てようとします。

じつは箱館には、その下地がありました。幕末の箱館では、船大工の続豊治が、日本人の手で西洋式の帆船「箱館丸」を造っています。また、箱館の東の古武井では、五稜郭を設計した武田斐三郎のもとで、鉄をとかす炉の建設も試みられていました。小栗は、こうした箱館の職人と技術を集め、蝦夷地で鉄と船を造る工場を動かそうとしたのではないでしょうか。

箱館のドック・反射炉・造船所
ドックで軍艦の船底を直し、反射炉で大砲を鋳造し、船台で新しい船を組む。小栗が技師と図面を確かめる(イメージ)

お金は外国から借りる。島を租借させて

反射炉や造船所には、ばく大なお金がかかります。税だけではとても足りません。そこで小栗は、外国からお金を借りることを考えます。

史実でも小栗は、横須賀製鉄所をつくるために、フランスとのあいだで600万ドルもの借款(国どうしの借金)の話をまとめかけていました。幕府がたおれて実現しませんでしたが、外国からお金を借りて国の工場をつくるというのは、小栗がもともと考えていたやり方なのです。

ただ、生まれたばかりの箱館の政権に、外国はかんたんにはお金を貸しません。そこで小栗は、しかたなく、蝦夷地の沖の島を一つ、20年ほどの期限つきで外国に租借させ(貸し出し)、その見返りとしてお金を借りたのではないでしょうか。

相手として考えられるのは、蝦夷地のすぐ北で南へ勢いをのばしていたロシアです。もっとも、小栗は1861年、ロシアの軍艦が対馬に居すわった対馬事件のとき、みずから対馬へ渡ってロシアと掛け合った人物でもあります。ロシアの野心はよく知っています。だからこそ、期限をはっきり20年に区切り、島から先へは一歩も入れない約束にする。苦しい決断ですが、国をつくるお金を手に入れるために、あえてその道をえらんだのかもしれません。なお史実でも、箱館の政権は、プロイセンの商人ガルトネルに七重村の土地300万坪を99年間貸す約束をしています。

借りたお金で、軍艦を買い足す

借りたお金と、貿易でかせいだお金は、海軍の強化にも回します。蝦夷地を守る力は、何といっても海です。小栗は、外国の商人を通じて、蒸気軍艦や輸送船を買い足していったのではないでしょうか。

軍艦がふえれば、津軽海峡を見はる船も、箱館の湾を守る船も、補給の荷を運ぶ船も、手分けして動かせます。開陽丸一隻にたよらない艦隊ができれば、新政府がたとえ甲鉄を手に入れたとしても、かんたんには海を渡れません。造船所で船を造れるようになるまでのあいだ、外国から買った軍艦が、蝦夷地の海を守り続けるのです。

箱館湾にならぶ旧幕府の艦隊
開陽丸を中心に、買い足した軍艦がずらりと並ぶ箱館湾。奥には修理ドックと造船所(イメージ)

第9段階:箱館から海外と貿易する

箱館は、外国に開かれた港です。小栗は、この港を使って、蝦夷地の産物を外国に売り出します。昆布や干しアワビ、ニシンなどの海の幸は、清国(いまの中国)でよく売れる品でした。掘り出した石炭も、港に寄る外国の蒸気船に売れます。

産物を売ってお金を得て、そのお金で武器や機械を買う。貿易が回りはじめれば、箱館の政権は、新政府にたよらなくても自分の力で立っていけるようになります。

箱館港からの海外貿易
昆布や干しアワビ、ニシン、石炭を積み出し、かわりに機械や鉄、銃を受け取る。小栗が外国商人と握手(イメージ)

1869年春:新政府軍は、海を渡れない

1869年の春、雪どけとともに、新政府は青森に大軍を集めます。けれど、蝦夷地へ渡るには、津軽海峡をこえなければなりません。

その海を、開陽丸を中心とした旧幕府の艦隊がおさえています。開陽丸、回天、蟠龍、千代田形、そして長崎丸。軍艦は箱館のドックで手入れを受け、いつでも動ける状態です。一方の新政府には、頼みの甲鉄がありません。史実では、甲鉄を先頭にした新政府の艦隊が兵を運び、4月9日に乙部へ上陸しました。けれど甲鉄がなければ、新政府の船は、開陽丸の大砲を前に海峡へ乗り出すことができません。

史実の宮古湾海戦は、甲鉄をうばうために、旧幕府方が追いつめられて打って出た戦いでした。ここでは、その必要もありません。兵を乗せた船が青森を出ようとすれば、旧幕府の艦隊が待ちかまえて沈める。新政府軍は、海を渡ることができないまま、青森で足止めされたのではないでしょうか。

海を渡れなければ、陸の戦いも始まりません。土方歳三や大鳥圭介、立見鑑三郎の雷神隊、そしてフランス式に鍛えた新しい兵たちは、一度も大きな戦をすることなく、蝦夷地を守りぬいたことになります。

逆に、青森へ攻め寄せる

海をおさえた旧幕府の艦隊は、守るだけではありません。逆に津軽海峡を渡り、青森の湊へ攻め寄せます。青森には、蝦夷地へ渡るために集められた新政府軍の兵と、兵糧や弾薬、そして兵を運ぶための船が集まっていました。

開陽丸や回天が沖から大砲を撃ちこめば、湊の船や蔵は燃え、集めた兵糧も失われます。陸に上がって戦う必要はありません。軍艦の大砲がとどく海ぞいを、くり返しおびやかすだけで十分です。新政府軍は、蝦夷地へ渡るどころか、青森の守りに追われることになったのではないでしょうか。

旧幕府艦隊による青森の艦砲射撃
津軽海峡を渡った旧幕府の艦隊が、青森の湊を沖から砲撃。新政府軍の船や蔵が燃える(イメージ)

その後:新政府と和議を結び、蝦夷地は旧幕臣の土地に

海を渡れず、蝦夷地を落とせない新政府にとって、戦を続けることは大きな負担です。新政府は、まだできたばかりで、国の中をまとめることに力を注がなければなりません。一方の箱館も、本州へ攻めこむほどの力はありません。

そこで、両者は和議を結ぶことになります。史実でも榎本たちは、「蝦夷地を旧幕臣に開かせてほしい」と新政府に願い出ていました。仕事を失った旧幕臣たちが、蝦夷地を開いて暮らしを立てる。その願いが、小栗のつくった財政と開拓の力を背景に、聞き入れられたのではないでしょうか。

和議のあとの蝦夷地と東北の配置図
和議のあとの予想図。青が旧幕臣の蝦夷地(箱館政権)、赤が新政府。地名の位置はおおまかなイメージ

こうして蝦夷地は、旧幕臣たちが開く土地として残ります。箱館には銀行と会社があり、室蘭では港と町が開かれ、箱館の港からは外国へ船が出ていく。小栗が江戸で思いえがいていた「新しい日本」の姿が、蝦夷地で形になっていったのかもしれません。

まとめ:戦いながら、国をつくる

飯能では、補給がなくて負けました。長岡では、港を守って勝ちました。そして箱館で、小栗は戦うだけでなく、戦い続けるための国そのものをつくろうとした。税を集め、銀行と会社をつくり、土地を開き、ドックを建て、外国と貿易する。どれも、小栗が幕府でやろうとしてきたことでした。

史実の小栗は、1868年に権田村で斬られ、その力を最後までふるうことはできませんでした。もし小栗が箱館に立っていたら、蝦夷地の歴史は、まるでちがうものになっていたのではないでしょうか。

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