2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公・小栗忠順(上野介)。幕末の幕府で、外国との交渉や財政、横須賀製鉄所の建設などにかかわった人物です。
その小栗が、幕府の役人として最初に大きな試練をむかえたのが、1861年の対馬事件でした。ロシアの軍艦が対馬に居すわり、土地を借りたいと求めてきたのです。小栗は交渉にあたりましたが、ロシア艦を退去させることはできず、外国奉行を辞めることになりました。もし小栗が自らの手でロシア艦を追い払えていたら、日本はどうなっていたのでしょうか。今回はその「もしも」を考えます。

⚓ 小栗忠順と戊辰戦争の「もしも」シリーズ(全7本)
先に結論:小栗一人の力では追い払えなかった。けれど「対馬直轄」が通っていれば、幕府の国防は変わった
先に私の答えを書いておきます。当時の幕府には、ロシアの軍艦を力で追い出せる海軍がありませんでした。小栗がどれほど交渉にたけていても、ロシア艦を退去させるのは難しかったと思います。史実でも、最後にロシア艦を去らせたのはイギリスの軍艦の圧力でした。
ただ、小栗はこのとき「対馬を幕府の直轄にすべきだ」と進言しています。これが受け入れられていれば、幕府は国境の島を自ら守る体制をつくり、海軍づくりも早まったはずです。小栗が辞職せずに外国奉行を続けていれば、幕府の外交と国防は、もっと筋の通ったものになっていたかもしれません。
史実:対馬事件(1861年)
| 月(1861年) | 出来事 |
|---|---|
| 2月 | ロシア軍艦ポサドニック号が対馬の浅茅湾に入り、芋崎に上陸して兵舎などを建てはじめる |
| 3〜4月 | ロシア側が土地の借用を求める。島民と衝突し、死者も出る |
| 5月 | 外国奉行・小栗忠順が対馬に到着し、艦長ビリリョフと交渉。退去を求める |
| 5〜6月 | 交渉はまとまらず。小栗は江戸に戻り、対馬を幕府の直轄にするよう進言 |
| 7月 | 進言は受け入れられず、小栗は外国奉行を辞める |
| 8〜9月 | イギリス公使オールコックが軍艦を送って圧力をかけ、ロシア艦が退去 |
ロシアの目的は、冬でも凍らない港を手に入れ、対馬海峡をおさえることにありました。対馬は日本と朝鮮のあいだにある要の島で、ここを外国に取られれば、日本の安全はおびやかされます。


小栗は何をしようとしたのか
小栗は、ロシア艦長に退去を求める一方で、対馬藩主との会見を求めるロシア側の要求をかわしながら交渉を続けました。けれど、幕府には軍艦で圧力をかける力がありません。言葉だけの交渉には限界がありました。
そこで小栗は、根本的な解決として、対馬を対馬藩まかせにせず、幕府が直接治めて守るべきだと考えました。国境の島を一つの藩にまかせておくことの危うさを、小栗は見抜いていたのです。

もしも:小栗がロシア艦を追い払えていたら
第1段階:対馬の直轄化(1861年)
小栗の進言が通り、対馬が幕府の直轄になったとします。幕府は役人と兵を送り、浅茅湾に砲台を築きます。ロシア側は、幕府が本気で島を守る姿勢を見せたことで、居すわる理由を失います。イギリスの力を借りずに退去させられれば、幕府の面目は大いに立ったでしょう。
第2段階:小栗は外国奉行を続ける
史実の小栗は、この事件で辞職し、しばらく表舞台から離れます。辞職しなければ、外国奉行として、イギリスやフランスとの交渉の最前線に立ち続けたはずです。小栗は1860年に遣米使節として地球を一周する旅を経験しており、外国の力を肌で知っていました。

第3段階:海軍づくりが早まる
対馬事件で、幕府は「自分たちの海軍がなければ国を守れない」ことを痛感しました。小栗がこの経験をもとに、早くから造船所や軍艦の整備を進めていれば、のちの横須賀製鉄所の計画は、史実より数年早く動き出していたかもしれません。
その先:イギリスへの「借り」がなくなる
史実では、イギリスがロシア艦を追い払ったことで、イギリスは日本に対して大きな発言力を持つようになりました。のちの幕末、イギリスは薩摩・長州に近づき、幕府はフランスに近づいていきます。
もし幕府が自力で対馬を守っていれば、イギリスに頭の上がらない関係は生まれず、幕末の外交の形も少し変わっていたでしょう。

まとめ:小栗がロシア艦を追い払えていたら
| 問い | 答え(予想) |
|---|---|
| 小栗一人で追い払えたか | 難しい。幕府には圧力をかける海軍がなかった |
| 対馬直轄が通っていれば | 幕府が国境の島を守る体制ができ、ロシアは居すわる理由を失う |
| 小栗は | 辞職せず、外国奉行として交渉の最前線に立ち続ける |
| その先 | 海軍づくりが早まり、イギリスへの「借り」も生まれない |
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筆者の感想
対馬事件は、小栗にとって挫折の経験でした。けれど、ここで味わった「力がなければ国は守れない」という思いが、のちの横須賀製鉄所につながったのだと思います。小栗の改革の原点は、対馬にあったのかもしれません。
大河ドラマ『逆賊の幕臣』で、対馬事件がどう描かれるのかも楽しみです。あなたは、小栗の進言が通っていたら、幕府の運命は変わったと思いますか?
よくある質問
対馬事件とは?
1861年(文久元年)、ロシア軍艦ポサドニック号が対馬に来航し、半年ほど居すわって土地の借用などを求めた事件です。最終的にイギリスの圧力でロシア艦は退去しました。
小栗忠順は対馬事件で何をしたの?
外国奉行として対馬に行き、ロシア艦長と交渉して退去を求めました。また、対馬を幕府の直轄にするよう進言しましたが受け入れられず、外国奉行を辞めました。
2027年の大河ドラマは?
小栗忠順を主人公とする『逆賊の幕臣』です。











