2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公は、幕臣の小栗忠順(上野介)です。横須賀に製鉄所を建て、幕府の財政を立て直そうとした人物として知られています。
1868年1月、鳥羽・伏見の戦いに敗れた徳川慶喜は、大坂城を抜け出して江戸に戻りました。江戸城では、これからどうするかをめぐって話し合いが開かれます。そこで小栗は、徹底して戦う作戦を説きました。箱根で新政府軍を迎え撃ち、幕府の艦隊を駿河湾に送って、東海道を進む敵の背後を断つ。のちに新政府軍の大村益次郎が「この策が行われていたら、われわれの首はなかった」と言ったとも伝わる作戦です。
では、もし慶喜が小栗の作戦を採用していたら? 先に私の答えを書きます。新政府軍は箱根の手前で止まり、戦いは何か月も長引いたと思います。それでも徳川が天下を取り戻すことはありません。手に入ったのは、徳川家が新しい政府の中で大きな大名として残る道だったと私は考えます。

通説・史実:慶喜は戦わず、小栗は罷免された
| 年月 | 出来事 |
|---|---|
| 1868年1月3〜6日 | 鳥羽・伏見の戦い。旧幕府軍が敗れ、慶喜は夜に大坂城を出て開陽丸で江戸へ向かう |
| 1868年1月12日 | 慶喜が江戸城に戻る。小栗・榎本武揚・大鳥圭介らが抗戦を主張する |
| 1868年1月15日 | 慶喜が小栗を勘定奉行などの役から外す |
| 1868年2月12日 | 慶喜が上野の寛永寺に移り、謹慎する |
| 1868年3月 | 小栗は上野国の権田村(今の群馬県高崎市倉渕町)に移る。勝海舟と西郷隆盛の会談で、江戸総攻撃が中止に |
| 1868年閏4月6日 | 小栗が新政府軍にとらえられ、烏川の河原で斬首される |
小栗の作戦は、いくつかの形で伝わっていますが、骨組みは同じです。新政府軍を箱根のあたりで迎え撃ち、陸軍がその足を止める。そのあいだに、榎本武揚の艦隊が駿河湾に入り、海沿いを進む敵の後続部隊を艦砲射撃でたたく。前と後ろを断たれた新政府軍は、補給もできずに立ち往生する、というものです。
しかし慶喜は、この作戦を採りませんでした。朝廷の敵(朝敵)として戦い続けることを恐れ、さらに国内の戦いが長引けば外国に付けこまれると考えたとも言われます。話し合いの席で、慶喜の袖をつかんで抗戦を訴えた小栗を、慶喜がふり払ったという話も残っています。

ですが、もし慶喜が小栗の作戦を採用していたら
もし1月の江戸城で、慶喜が小栗の手を取り「その策でいこう」と言っていたら。旧幕府には、まだ開陽丸をはじめとする強い艦隊と、フランス式の訓練を受けた歩兵が残っていました。

こうなったかもしれない
1. 箱根で東征軍の足を止める
箱根の山は、昔から「天下の険」と呼ばれた難所です。細い山道を登ってくる大軍は、一度にたくさんの兵を前に出せません。坂の上に土塁と大砲をならべ、フランス式の訓練を受けた伝習隊が待ちかまえれば、新政府軍は簡単には越えられなかったでしょう。

2. 駿河湾の艦隊が、東海道を断つ
東海道は、駿河のあたりで海のすぐそばを通ります。由比や薩埵峠では、道と海のあいだにほとんど平地がありません。海から艦隊が大砲を撃ちこめば、兵糧や弾薬を運ぶ列は通れなくなります。
当時の新政府には、旧幕府の艦隊に立ち向かえる海軍がまだありませんでした。海を押さえているのは旧幕府のほうです。前の部隊は箱根で止まり、後ろの部隊は海から撃たれる。これが小栗の作戦のいちばんの狙いでした。

3. 中山道は碓氷峠でふさぐ
新政府軍は、東海道だけでなく中山道からも江戸をめざしていました。こちらは上野と信濃のさかいにある碓氷峠が守りの要になります。小栗はのちに上野国の権田村に住んでおり、このあたりの地理にも明るい人物でした。
4. お金は小栗がつくる
長い戦いには、お金がかかります。ここで小栗の本来の力が生きてきます。小栗は勘定奉行として幕府の財政をあずかり、横浜の貿易や、日本で最初の株式会社とも言われる兵庫商社の計画にもかかわっていました。フランスのロッシュ公使も、慶喜に援助を申し出ていました。
5. 弱点は「朝敵」の名と、慶喜その人
ただし、この作戦には大きな弱点がありました。新政府軍は錦の御旗をかかげ、旧幕府を朝敵としていました。戦いが長引くほど、どちらにつくか迷っていた大名たちは、朝廷の側に流れていきます。
そして何より、慶喜自身が戦う気持ちを失っていました。総大将が迷えば、兵の士気は続きません。この作戦が成功するかどうかは、慶喜が最後まで腹をくくれるかどうかにかかっていたのです。
6. 結末:数か月の足止めのあと、和睦へ
私は、新政府軍は箱根の手前で何か月も足止めされたと思います。そのあいだに、会津や庄内、東北の諸藩も動き出します。新政府にとっても、戦いが長引けば財政が持ちません。
そこで、どこかで和睦の話がまとまったでしょう。徳川家は将軍の座には戻れませんが、関東に大きな領地を残したまま、新しい政府に加わる。小栗の作戦がもたらすのは、天下ではなく、徳川家が「大名」として生き残る道だったと私は考えます。
まとめ
- 箱根の険で東征軍の足を止める
- 駿河湾の艦隊が、海沿いの東海道を進む後続部隊を断つ
- 中山道は碓氷峠でふさぎ、戦費は小栗が工面する
- 弱点は「朝敵」の名と、戦う気持ちを失った慶喜
- 結末は数か月の足止めのあとの和睦。徳川家は大きな大名として新政府に加わる
筆者の感想


東善寺(群馬県高崎市倉渕町・筆者撮影)
小栗が江戸を去ったあとに移り住んだ権田村には、今も小栗の眠る東善寺があります。境内には小栗の胸像が立ち、遺品館では小栗が使っていた品々を見ることができます。ここに立つと、江戸城で抗戦を訴えた男が、最後は静かな山あいの村で暮らそうとしていたことが胸に迫ってきます。
小栗の作戦が採用されていれば、日本は長い内戦に入ったかもしれません。慶喜が戦わなかったことで救われた命も多かったはずです。それでも、もし作戦が採られていたら、小栗が斬首されることはなかった。そう思うと、来年の大河ドラマで小栗がどう描かれるのか、今からとても楽しみです。
あなたが慶喜だったら、小栗の作戦を採りますか?
よくある質問
小栗忠順の作戦とはどんなもの?
新政府軍を箱根のあたりで迎え撃ち、同時に幕府の艦隊を駿河湾に送って、東海道を進む敵の後続部隊を艦砲射撃で断つ作戦です。伝わり方にはいくつかの形があります。
小栗忠順はなぜ処刑されたの?
江戸を去って上野国の権田村に移ったあと、新政府軍に反乱をくわだてたと疑われ、1868年閏4月6日に烏川の河原で斬首されました。取り調べらしいものはなかったと伝わります。
2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』とは?
小栗忠順を主人公にしたNHKの大河ドラマで、松坂桃李さんが小栗を演じます。
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