『豊臣兄弟!』に登場する秀次には、二人の弟がいました。秀長の養子となった秀保と、秀吉の養子となった秀勝(小吉)です。秀勝は、浅井三姉妹の三女・江を妻に迎えています。
その秀勝は、1592年、朝鮮出兵のさなかに巨済島で病死しました。24歳でした。夫を失った江は、のちに徳川秀忠と結婚し、三代将軍・家光の母になります。もし秀勝が朝鮮で病死しなかったら、豊臣家と徳川家はどうなっていたのでしょうか。今回はその「もしも」を考えます。

👑 豊臣政権と一門の「もしも」シリーズ(全14本)
先に結論:秀勝が大名として残れば、江は秀忠に嫁がず、家光は生まれない
先に私の答えを書いておきます。秀勝が生きていれば、江は秀勝の妻のままです。徳川秀忠は別の女性を正室に迎え、家光も千姫も生まれなかったことになります。徳川将軍家の血筋は、いまとはまったくちがうものになったでしょう。
ただし、大きな壁があります。1595年の秀次事件です。秀勝は秀次の実の弟でした。秀次の父・三好吉房は流罪になっており、秀勝も無事ではすまなかった可能性があります。秀勝が処分されれば、江はやはり夫と別れ、秀忠のもとへ嫁ぐ道が開けたかもしれません。
史実:秀勝と江
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1569年 | 秀吉の姉・ともの子として生まれる。兄は秀次、弟は秀保 |
| 1586年 | 秀吉の養子だった於次丸秀勝が亡くなり、その名と立場を受けつぐ |
| 1591年ごろ | 江と結婚。のちに美濃の岐阜城主となる |
| 1592年 | 朝鮮出兵に出陣。9月、巨済島で病死。24歳 |
| 1592年 | 江とのあいだに娘・完子が生まれる |
| 1595年 | 江が徳川秀忠と結婚 |
| 1604年 | 江が家光を産む |
江は、生涯に三度結婚しています。最初の夫・佐治一成とは秀吉によって離縁させられ、二度目の夫・秀勝とは死別しました。そして三度目の夫・秀忠とのあいだに、家光や千姫、のちに天皇の后となる和子らをもうけます。


秀勝とはどんな人だったのか
秀勝は、秀吉の養子として大切に育てられ、岐阜城を任されました。岐阜はかつて信長が天下を目指した城で、そこを任されたことは、秀吉の期待の大きさを表しています。
ただ、秀勝は若くして亡くなったため、どんな武将だったのかを示す記録は多くありません。兄の秀次、弟の秀保と同じく、豊臣家の未来をになうはずだった一門の若者でした。
もしも:秀勝が朝鮮で病死しなかったら
第1段階:岐阜城主として帰国(1593年ごろ)
秀勝が無事に帰国すれば、岐阜城主として美濃を治めながら、江と娘・完子と暮らします。兄の秀次は関白、弟の秀保は大和郡山の主。三兄弟がそろって大名として並び、豊臣一門の柱となります。
第2段階:秀頼の誕生と秀次事件(1593〜1595年)
1593年に秀頼が生まれ、1595年に秀次事件が起きます。秀勝は秀次の実の弟ですから、秀吉や石田三成らから疑いの目を向けられたでしょう。ここで秀勝の運命は二つに分かれます。


第3段階:秀勝の運命は二つに分かれる
一つ目は、秀次に連座して領地を取り上げられる道です。この場合、江は夫と別れさせられ、史実と同じように秀忠に嫁ぐことになったかもしれません。
二つ目は、秀吉の養子であり、江の夫であることから許される道です。江は茶々の妹で、秀頼の叔母にあたります。茶々が妹の夫のために秀吉に願い出れば、秀勝は処分をまぬがれた可能性もあります。この場合、秀勝は豊臣家に残るただ一人の成人した一門となり、秀吉の死後、秀頼を支える立場になったでしょう。
その先:徳川将軍家が変わる
江が秀忠に嫁がなければ、家光は生まれません。秀忠の跡を継ぐのは、別の女性が産んだ子になります。千姫も生まれないので、秀頼と千姫の結婚もありません。豊臣と徳川をつなぐ縁は、秀勝と江、そして秀頼の叔母と叔父という形になったでしょう。
もしかすると、秀勝が生きていれば、大坂の陣のときに豊臣家と徳川家のあいだを取りもつ人がいたのかもしれません。
まとめ:秀勝が朝鮮で病死しなかったら
| 問い | 答え(予想) |
|---|---|
| 江は | 秀勝の妻のまま。秀忠とは結婚しない |
| 家光は | 生まれない。徳川将軍家の血筋が変わる |
| 秀次事件では | 兄の連座で処分されるか、茶々のとりなしで許されるか |
| 許されれば | 豊臣家に残る成人の一門として、秀頼を支える |
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筆者の感想
秀次、秀勝、秀保。ともの三人の息子たちは、病死、病死、切腹と、みな若くして世を去りました。豊臣家が一門の少なさに苦しんだことを考えると、三兄弟の誰か一人でも長生きしていたら、と思わずにはいられません。
そして、秀勝の死が、江を秀忠のもとへ導き、家光の誕生につながったことにも驚かされます。一人の若者の死が、家光から7代将軍・家継まで続く将軍家の血筋を決めたのです。あなたは、秀勝が生きていたら、豊臣家を支えられたと思いますか?
よくある質問
豊臣秀勝は何人いるの?
秀吉の養子で秀勝と名乗った人は、主に二人います。信長の四男で1586年に亡くなった於次丸秀勝と、その名を受けついだ秀次の弟・小吉秀勝です。この記事は小吉秀勝の話です。
秀勝と江の娘はどうなったの?
娘の完子は、母・江が秀忠に嫁いだあと、伯母の茶々のもとで育てられ、のちに公家の九条幸家に嫁ぎました。
江は何度結婚したの?
三度です。佐治一成、豊臣秀勝、徳川秀忠と結婚し、秀忠とのあいだに家光・千姫・和子らを産みました。

















