今夜(10月23日)から、テレビ朝日系でドラマ『真田十勇士 SHADOWS OF THE TEN NINJA』が始まります。猿飛佐助や霧隠才蔵の活躍を見ていると、「こんな忍びが本当にいたら、歴史は変わったのでは」と思いたくなります。
前回の記事では、十勇士が大坂の陣で戦っていたらどうなったかを考えました。今回はもっと広く、真田家が徳川とぶつかった上田合戦から大坂の陣までの15年を通して、十勇士がいたら歴史は変わったのかを考えます。
先に私の答えを書きます。歴史は変わりません。十勇士は戦の一場面を動かせても、天下の流れまでは動かせなかったと思います。

通説・史実:真田家が徳川とぶつかった15年
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1600年9月 | 第二次上田合戦。昌幸と信繁が上田城で徳川秀忠の大軍を足止めし、秀忠は関ヶ原の戦いに間に合わない |
| 1600年9月15日 | 関ヶ原の戦い。秀忠の軍がいないまま、家康の東軍が勝つ |
| 1600年 | 昌幸と信繁は死罪をまぬがれ、紀伊の九度山へ流される。東軍についた兄・信之が命乞いをしたと伝わる |
| 1603年 | 家康が征夷大将軍になり、江戸幕府を開く |
| 1605年 | 家康が将軍職を秀忠にゆずる |
| 1614〜15年 | 大坂冬の陣・夏の陣。信繁は討死し、豊臣家が滅びる |
| 1622年 | 信之が上田から信濃の松代へ移る。真田家は松代藩として明治まで続く |
真田家は、親子兄弟で東西に分かれて戦いました。父の昌幸と弟の信繁は豊臣方、兄の信之は徳川方です。どちらが勝っても真田の家が残るように、という選択だったと言われます。



ですが、もし真田十勇士がいたら
もし昌幸と信繁のそばに、十勇士が本当にいたら。歴史を変えられそうな場面は、大きく分けて三つありました。上田合戦で秀忠を討つ。九度山にいる14年のあいだに家康をねらう。そして大坂の陣で家康を討つか、秀頼を逃がす。
ひとつずつ見ていくと、どれも「歴史を変える」ところまでは届かないことが分かります。
こうなったかもしれない
1. 上田合戦:秀忠を討っても、関ヶ原は東軍が勝つ
史実でも、真田は上田城で秀忠の大軍を足止めしました。十勇士がいれば、夜討ちをかけたり、本陣に忍びこんだりして、秀忠そのものをねらえたかもしれません。
でも、関ヶ原は秀忠の軍がいなくても東軍が勝っています。秀忠を討ち取っても、関ヶ原の結果は変わりません。家康には結城秀康や松平忠吉など、ほかにも息子がいます。徳川の跡継ぎが別の人になるだけです。
そのうえ、真田は「徳川の跡継ぎを殺した家」になります。九度山に流されるどころか、昌幸も信繁も死罪だったでしょう。命乞いをした信之も、ただではすまなかったはずです。
2. 関ヶ原:裏切りを見抜いても、三成には止められない
十勇士が上方に入り、小早川秀秋や吉川広家の動きを探って、石田三成に知らせたとします。けれど、小早川があやしいことは、当時も多くの人が感じていました。足りなかったのは情報ではなく、裏切りを止める力です。
三成は西軍の大名たちに命令できる立場ではありませんでした。毛利がなぜ動かなかったかは、関ヶ原で毛利が動いていたらの記事でも考えています。忍びが何を知らせても、大名たちの心までは動かせません。
3. 九度山の14年:家康を討っても、徳川は止まらない
九度山にいるあいだ、十勇士が家康の暗殺をねらったら。家康のまわりの警固は厳しく、成功する見こみはかなり低いでしょう。
仮に成功しても、1605年からの将軍は秀忠です。幕府の仕組みと徳川の家臣団は、家康がいなくても動きます。しかも、真田の手の者のしわざと分かれば、豊臣家が裏で糸を引いたと疑われます。大坂攻めの口実を、徳川に早く与えるだけです。
4. 大坂の陣:家康を討っても、秀頼を逃がしても
大坂の陣については、前回の記事でくわしく考えました。影武者になった十勇士が敵を散らせば、家康に刃が届く可能性は少し上がります。それでも徳川方は豊臣方の何倍もの大軍で、大坂城は落ちます。
秀頼を薩摩へ逃がせたとしても、名前を捨ててひっそり生きるしかありません。島津家も、秀頼をかついで幕府と戦うような危ない橋は渡らないでしょう。秀頼の命は守れても、豊臣家が天下に戻ることはありません。
5. 十勇士が働くほど、真田家が危うくなる
見落としがちなのが、兄の信之です。真田家が明治まで大名として続いたのは、信之が徳川方として忠実に仕えたからでした。
十勇士が派手に動いて徳川の要人を討てば、疑いの目は信之にも向きます。「弟の手下が将軍を襲った家」を、徳川が大名のまま残すとは思えません。十勇士が活躍すればするほど、真田家そのものが消える危険が大きくなるのです。
6. 変わるのは歴史ではなく、物語
こうして見ると、十勇士が動かせるのは戦の一場面だけです。天下を決めたのは、兵の数、大名たちの損得、そして家を残すための判断でした。忍び10人の腕では、そこまでは届きません。
ただ、十勇士がいたら変わったものがあると思います。それは人々が語りつぐ物語です。信繁の戦いはもっと劇的になり、秀頼が生きのびたという話にも、少しだけ本当らしさが増したでしょう。
筆者の感想
十勇士がいても歴史は変わらない。そう書くと夢がないようですが、私はむしろ、だからこそ十勇士の物語が生まれたのだと思います。負けると分かっている戦で家康の本陣にまで迫った信繁。その姿を見た人たちが、「もし腕ききの忍びがそばにいたら」と思わずにいられなかったのでしょう。
そしてもうひとつ、真田家を本当に救ったのは、十勇士ではなく兄の信之でした。派手な活躍ではなく、徳川のもとで家を守り続けた信之がいたから、真田の名は今も残っています。ドラマを見るときは、画面に出てこない信之のことも少し思い出してみてください。
あなたは、真田十勇士がいたら歴史は変わったと思いますか?
よくある質問
第二次上田合戦とは?
1600年9月、真田昌幸と信繁が上田城にこもり、関ヶ原へ向かう徳川秀忠の大軍を足止めした戦いです。秀忠は関ヶ原の戦いに間に合わず、家康にきびしく叱られたと伝わります。
真田家はその後どうなったの?
徳川方についた信之が、上田から信濃の松代へ移り、松代藩の藩主になりました。真田家は松代藩として明治維新まで続きます。
真田十勇士は実在したの?
十勇士は、江戸時代の軍記物や大正時代の立川文庫などで広まった架空の人物たちです。くわしくはもし真田十勇士が実在したらの記事で紹介しています。





