もし北条氏直が長生きして大名に戻っていたら?北条家は家康の娘婿の家として残れたか【豊臣兄弟!】

北条氏直

『豊臣兄弟!』の最終回では、小田原城が開城し、北条家が降伏します。父の氏政と叔父の氏照は切腹させられましたが、当主の北条氏直は命を助けられ、高野山へ送られました。氏直の妻は、徳川家康の娘・督姫だったからです。

氏直はその翌年に秀吉から許され、1万石の大名に戻ることになります。ところが、そのわずか3か月後に30歳で病死しました。もし氏直が長生きして大名として生きていたら、北条家はどうなっていたのでしょうか。今回はその「もしも」を考えます。

黒田官兵衛
小田原城に入り、北条家に開城を説いた黒田官兵衛(イメージ)
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先に結論:北条家は徳川の親戚大名として残る。ただし小田原には戻れない

先に私の答えを書いておきます。氏直が長生きしていれば、北条家は家康の娘婿の家として、江戸時代に数万石ほどの大名として残ったと思います。関ヶ原では当然、家康の東軍につくでしょう。

けれど、家康は小田原を北条家に返すことはしなかったはずです。小田原は江戸を守る西の要で、家康は信頼する譜代の大久保家を置きました。北条家が関東の主に戻ることはなく、「家康の親戚の小さな大名」として生きる道になったと思います。

史実:小田原開城から氏直の死まで

年月 出来事
1590年7月5日 氏直が自ら城を出て、自分の命とひきかえに城兵の助命を願う
1590年7月11日 父・氏政と叔父・氏照が切腹
1590年7月 氏直は家康の娘婿として命を助けられ、高野山へ送られる
1591年2月 秀吉に許され、高野山を下りる
1591年8月 秀吉から1万石を与えられ、大名に戻ることになる
1591年11月 大坂で病死。30歳
1594年 妻の督姫が池田輝政と再婚

氏直は、開城のとき「自分が腹を切るので、城兵の命は助けてほしい」と申し出たと伝わります。秀吉はその姿勢を評価し、また家康の娘婿であることもあって、氏直の命を助けました。

北条氏直の最後の1年の年表図
許されて大名に戻る道が開けたのに、氏直はわずか数か月後に亡くなった(年表図)
応其と秀吉
高野山の僧・応其は、秀吉と交渉して高野山を守った。氏直が送られたのはその高野山だった(イメージ)

北条家はどう続いたのか

氏直には男子がいなかったため、北条家は氏直の叔父・氏規の子、氏盛が継ぎました。氏規は韮山城を最後まで守りぬいた武将で、秀吉からも一目置かれていました。氏盛は河内狭山に1万石をもらい、北条家は「狭山藩」として明治まで続きます。

関東の大大名だった北条家は、1万石の小さな大名として生き残ったのです。

北条家のその後の関係図
北条家は氏規の子・氏盛が継ぎ、河内狭山藩として明治まで続いた(関係図)

もしも:北条氏直が長生きしていたら

第1段階:1万石の大名として(1591年〜)

氏直が元気なら、1592年の朝鮮出兵では、ほかの大名と同じように肥前名護屋に兵を出したでしょう。1万石の小さな大名ですが、家康の娘婿であり、元は関東の大大名です。秀吉にとっても、使い道のある人物でした。

第2段階:督姫と家康の縁(1594年〜)

氏直が生きていれば、督姫が池田輝政と再婚することもありません。史実の督姫は輝政とのあいだに多くの子をもうけ、池田家は家康の親戚として姫路52万石の大大名になりました。氏直が生きていれば、その「家康の娘婿」という立場は、北条家のものだったのです。

第3段階:関ヶ原で東軍に(1600年)

関ヶ原では、氏直は家康の娘婿として東軍につきます。戦いのあと、家康は親戚や味方の大名に大きく加増しました。北条家も、数万石の大名に引き上げられた可能性があります。

ただ、小田原に戻すかといえば、それは別の話です。家康にとって、旧領に戻った北条家が地元の旧臣たちと結びつくのは不安です。北条家は、関東から離れた土地で大名を続けたでしょう。

徳川家康
氏直の舅・家康。娘婿の北条家を大切にしても、小田原は返さなかったはず(イメージ)

その先:池田家と北条家の入れかわり

史実の池田家は、督姫との縁で家康に重んじられ、輝政は姫路城を今の姿に築きました。もし督姫が氏直の妻のままだったら、姫路52万石の池田家は生まれず、北条家がその立場に近づいていたかもしれません。一人の死が、二つの家の運命を入れかえたともいえます。

まとめ:北条氏直が長生きしていたら

問い 答え(予想)
北条家は 家康の娘婿の家として大名を続ける
関ヶ原では 東軍につき、加増される可能性
小田原は 戻れない。小田原は徳川の譜代が守る
池田家は 督姫と再婚しないため、姫路52万石の池田家は生まれにくい

筆者の感想

氏直の生涯を調べると、北条家の当主として最後まで責任を果たそうとした姿が見えてきます。自分の命とひきかえに城兵を助けてほしいという申し出は、敵である秀吉の心も動かしました。

許されて大名に戻る道が開けた矢先に亡くなったのは、本当に残念です。もし氏直が生きていたら、北条家の名はもっと大きく江戸時代に残っていたかもしれません。あなたは、氏直が生きていたら、北条家はどうなったと思いますか?

よくある質問

北条氏直はなぜ切腹しなかったの?

氏直の妻が家康の娘・督姫だったことや、開城のとき自分の命とひきかえに城兵の助命を願った姿勢が評価されたことから、命を助けられて高野山に送られました。

北条氏直はいつ亡くなったの?

1591年11月、大坂で病死しました。30歳でした。秀吉に許され、1万石の大名に戻ることになった直後のことです。

北条家は江戸時代も続いたの?

続きました。氏直の叔父・氏規の子の氏盛が跡を継ぎ、河内狭山藩1万石として明治まで続いています。

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